新高湯温泉は、吾妻山の山麓にある温泉で、一軒宿の「吾妻屋旅館」があります。
日帰り入浴が中止となる前の記録です。
囲碁の本因坊戦がここで開催されています(昭和36年(第16期)、平成12年(第55期)、平成18年(第61期)、平成21年(第64期))。
将棋の王将戦も行われています。
「東屋」を運営する(株)東屋は、2025年2月28日に山形地裁米沢支部より破産手続き開始決定を受けました。
なお、温泉旅館「東屋」は譲渡を受けた企業により営業を継続しています。
白布温泉郷唯一の食堂です。
吾妻山の湧水で打ったそばの他、ラーメンも評番が良いようです。
石田芳夫の色紙(平成十八年初夏)の色紙がありました。本因坊戦の立会人を務めたのかもしれません。
石碑は、上杉景勝の第一の重臣である直江山城守直江兼続が、
白布高湯で火縄銃を製造させたことを記念し、昭和45年に建てられたものです。
(説明板)
「直江兼続の鉄砲鍛造遺跡
江戸時代の初め、ここ白布温泉で直江兼続が火縄銃を製造、それを記念した「直江城州公鉄砲鍛造遺跡」の石碑が建っている。
上杉景勝の執政として米沢城下の整備を指揮した兼続は軍備にも力を注ぎ、慶長九年(一六〇四)に江州国友村(滋賀県長浜市)から吉川惣兵衛、泉州堺(大阪府堺市)から和泉屋松右衛門と二人の鉄砲職人を迎え、人里離れた白布高湯で火縄銃を鍛造させた。
その総数は一〇〇〇挺で、一〇匁筒・十五匁筒・二〇匁筒・三〇匁筒(玉の重さ・1匁は三・七五g)が作られたという。温泉旅館に残る古記録には、先祖が鉄砲職人の食事等の世話を行ったと記される。
また、兼続は同年十一月に「鉄砲稽古定」を発し、鉄砲技術の修練を奨励しました。こうした鉄砲製造と鍛錬の結果、慶長十九年の大坂冬の陣において上杉軍の鉄砲隊は大活躍し、直江や杉原等の武将は徳川秀忠から褒賞を受けた。
○米沢市森林体験交流センター「白布 森の館」 米沢市関湯の入沢3934-18
ここが火縄銃の鍛冶工場の跡と考えられています。
碑があるところから離れていて、新高湯温泉へ行く途中にあります。