【新高湯温泉】
〇 吾妻屋旅館
白布高湯は正和元(1312)年の開湯とされ、江戸時代には、福島の信夫高湯、山形の最上高湯(蔵王温泉)とともに「奥州三高湯」の一つに数えられ、
「三湯湯治」と呼ばれて「三温泉全部に宿泊すれば100年長生きできる」と言われて賑わいました。
米沢藩主上杉家の保養地として、開湯宿の東屋宍戸家は、代々のお殿様が入湯したと伝えられています。
また、慶長9(1604)年から慶長15(1610)年までの間、直江兼続により鉄砲の鍛造が此の地で行われました。
<吾妻の白猿>
白布温泉は「吾妻の白猿」でも有名です。
「吾妻の白猿」は、米沢市内の西吾妻山周辺に生息する白いニホンザルです。
白布温泉では、道路名が付けられたり、看板に描かれ、お土産品になったりと、地元にも愛されてきた存在です。
2025年6月17日に3年ぶりに「吾妻の白猿」が誕生しました。
<かねたん>
「かねたん」は、米沢市の直江兼続マスコットキャラクターです。
忠義の象徴、犬がモチーフで、「愛」の前立ての兜をかぶった戦国武将です。
「東屋」を運営する(株)東屋は、2025年2月28日に山形地裁米沢支部より破産手続き開始決定を受けました。
なお、温泉旅館「東屋」は、宿泊施設の再生を手がける「女将塾」が譲渡を受け営業を継続しています。
2025年3月12日をもって日本秘湯を守る会は退会しています。
<西屋旅館>
隣は茅葺の西屋旅館です。
<米沢藩上杉家「保養御殿」>
東屋は正和元(1312)年に開湯、米沢藩上杉家の鉄砲製造のため、慶長8(1603)年に現在地に移転、
鉄砲製造のための役所として機能し、鉄砲製造終了後は改修して米沢藩上杉家の保養御殿として利用されました。
明治時代以降も旧藩主家の保養御殿として利用されました。
昭和初期の東屋旅館
源泉名「白布高湯温泉」(白布第1号源泉、白布第2号源泉、白布題3号源泉)
打たせ湯のみ加水ありですが他はすべてかけ流しです。
<貸切風呂>
貸切風呂が2つあり、空いていれば日帰り入浴料金内で利用できます。
米沢藩上杉家の保養御殿時代の大きな庭石を、昭和26年から2年かけて手彫りした石風呂です。
<滝風呂>
上杉家の鉄砲鍛造のため旅館をこの地に移築した約400年前から使われている石造りの浴槽です。
3本のパイプから源泉をドカドカ投入(加水あり)、湯船からドバドバ溢れています。
上の木枠の湯船(加水なし)は熱くて入れません。
<露天風呂>
石垣を積み上げて平成13(2001)年に造られた露天風呂です。
上を見ると、石鳥居が見えます。HPに旅館の浴場から薬師如来尊堂までつながる苔むした石段との記載があるので、
石鳥居の先には薬師如来尊堂があると思われます。
囲碁の本因坊戦がここで開催されています(昭和36年(第16期)、平成12年(第55期)、平成18年(第61期)、平成21年(第64期))。
将棋の王将戦も行われています。
白布温泉郷唯一の食堂です。
吾妻山の湧水で打ったそばの他、ラーメンも評番が良いようです。
石田芳夫の色紙(平成十八年初夏)がありました。本因坊戦の立会人を務めたのかもしれません。
石碑は、上杉景勝の第一の重臣である直江山城守直江兼続が、
白布高湯で火縄銃を製造させたことを記念し、昭和45(1970)年に建てられたものです。
直江兼続は、上方から2名の鉄砲師を呼び、白布高湯(現白布温泉)で火縄銃を製造させました。
白布高湯が選ばれた理由は、火薬の原料である硫黄や、鍛冶に用いる炭などの供給に適していたためと考えられています。
造られた鉄砲の数は1000挺にのぼるといわれ、また鉄砲技術の修練が奨励されました。
この鉄砲製造と修練奨励は、「大坂冬の陣」での上杉軍の鉄砲隊の成果として発揮されました。
上杉軍は火縄銃のほか大筒を持ち込み、雷にも勝るほどの大音響を鳴り響かせ大坂城に向けて発射されました。
これにより直江や杉原等の武将は、徳川秀忠より褒賞を受けました。
直江兼続:永禄3(1560)年〜元和5年12月19日(1620年1月23日)
(碑文)
「直江城州公鉄砲鍛造遺跡」
(説明板)
「直江兼続の鉄砲鍛造遺跡
江戸時代の初め、ここ白布温泉で直江兼続が火縄銃を製造、それを記念した「直江城州公鉄砲鍛造遺跡」の石碑が建っている。
上杉景勝の執政として米沢城下の整備を指揮した兼続は軍備にも力を注ぎ、慶長九年(一六〇四)に江州国友村(滋賀県長浜市)から吉川惣兵衛、泉州堺(大阪府堺市)から和泉屋松右衛門と二人の鉄砲職人を迎え、人里離れた白布高湯で火縄銃を鍛造させた。その総数は一〇〇〇挺で、一〇匁筒・十五匁筒・二〇匁筒・三〇匁筒(玉の重さ・1匁は三・七五g)が作られたという。温泉旅館に残る古記録には、先祖が鉄砲職人の食事等の世話を行ったと記される。
また、兼続は同年十一月に「鉄砲稽古定」を発し、鉄砲技術の修練を奨励しました。こうした鉄砲製造と鍛錬の結果、慶長十九年の大坂冬の陣において上杉軍の鉄砲隊は大活躍し、直江や杉原等の武将は徳川秀忠から褒賞を受けた。」
○【閉館】米沢市森林体験交流センター「白布 森の館」 米沢市関湯の入沢3934-18
※2023年3月31日をもって閉館しました。
あずまユースホステル(後の米沢市森林体験交流センター)建設の際、
整地したところ大量の木炭屑や鉱滓が見つかり、ここが火縄銃の鍛冶工場の跡と考えられています。
碑があるところから離れていて、新高湯温泉へ行く途中にあります。
(説明板)
「白布高湯温泉鉄砲鍛造所跡地
上杉家の執政、直江城守兼続が、関ヶ原戦後の領地減封を期に、国力充実を命じ、慶長九年(一六〇四)から慶長十五年(一六一〇)迄の間、一〇〇〇挺以上もの鉄砲を鍛造したのが白布温泉の此の地です。
江州近江の国より吉川総兵衛・泉州堺より和泉屋松右衛門の鍛造師を招き、別々の二つの工場で競わせたと伝えれています。
幕府の目もあり、跡も話も消された状態で現在まで来ています。」
新高湯温泉は、吾妻山の山麓にある温泉で、一軒宿の「吾妻屋旅館」があります。
日本秘湯を守る会の会員宿です。
日帰り入浴が中止となる前の記録です。以前は「根っこ風呂」「眺望露天風呂」「足湯」の入浴が可能でした。
「昭和初期の新高湯温泉」(東屋旅館掲示より)
<白布温泉から新高湯温泉へ>
白布温泉から大樽川沿いの一本道を進みます。
天元台高原ロープウェイ湯元駅 左手旅館手前/右手最上川源流の滝
<足湯>
<大岩たぬき露天風呂(女性専用)>
<根っこ風呂>
<眺望露天風呂>
ロープウェイが見えます。