飛田新地は、大阪市西成区山王3丁目一帯にあります。
通天閣の南、あべのハルカスの西、あいりん地区の東に位置しています。
最寄り駅は、大阪メトロの動物園前駅、JR大阪環状線の天王寺駅と新今宮駅などです。
歴史は100年ほどしかありませんが、江戸時代にタイムスリップしたかのようなカオスな場所です。
飛田新地は撮影は禁止されていますが、Googleストリートビューでは街並が表示されます。
<飛田新地の遊び>
大阪にはソープランドはありませんが、飛田新地や松島新地などがあります。
お店は、仲居さんが料理(ドリンクと駄菓子)を提供する料亭です。
「青春通り」(桜木町会)、「メイン通り」(山吹町会)、「大門通り」、
「妖怪通り」(弥生町会)、「年金通り」(若菜町会)、「百番通り」、「端通り」があり、女の子のレベルが異なります。
お店の玄関に仲居さんと、やり手ババア(遣手婆)が座っています。
目の前のご本人と遊ぶのでパネマジはありませんが、やたらと明るい照明に惑わされます。
遊ぶ仲居さんを決めたら、やり手ババアに声をかけます。
1周目にこの子と思っても2周目には次の子に代わっています。
2周目は、やり手ババアの声掛けが「おかえりなさい」「そろそろ決めて」などとプレッシャーとなります。
料亭に入ったらスリッパを履いて、2階へ上がります。
部屋は畳敷きで、テーブルと座布団、布団があります。シャワーはありません。
料金は20分16000円が相場です(15分11000円もあり)。
飛田新地公衆トイレ(大阪市西成区山王3-7)前に標柱「飛田新地料理組合」と
横断幕「南地で三百年此の地で百年」(現在はありません)がありました。
江戸時代、新町・堀江・北新地・南地は大阪四花街と呼ばれました。
南地は明治45(1912)年「ミナミの大火」で焼失し、飛田が代替地となりました。
「南地で三百年」はこれを意味します。
大正7(1918)年12月に開廓式が行われ飛田遊廓が開廓しました。
売春防止法施行後は「料亭」となり通称飛田新地と呼ばれています。
平成30(2018)年に「此地で百年」を迎えました。
(標柱)
「飛田新地料理組合」
(横断幕)
「南地で三百年此の地で百年
謹んで御礼申し上げます
大門町会 飛田百年事業実行委員会」
<飛田新地案内図>
約160軒ほどの「料亭」が密集しています。
「廓(くるわ)」とは、囲われた区画を意味します。
飛田新地の西側の一部と、東側に「嘆きの壁」が残っています。
<坂口安吾は塀を「娼妓の逃亡をふせぐために作ったもの」と書いています>
「安吾の新日本地理 道頓堀罷り通る」(坂口安吾 昭和26(1951)年 青空文庫より抜粋)
飛田遊廓なるものの広さが、銀座四丁目から八丁目まで東西の裏通りもいれてスッポリはいりそうな大々的な区域であるが、これがスッポリ刑務所の塀、高さ二十尺余のコンクリートの塀にかこまれているのである。世道人心に害があるというので大阪の警察が目隠ししたのだろうと考えたら(そう思うのは当然さ。駅前や盛り場にバリケードをきずいて人間どもを完璧に整理しようというのだから)ところが、そうではなくて、往年の楼主が娼妓の逃亡をふせぐために作ったものだそうだ。そこへ関東大震災があって吉原の娼妓が逃げそこなって集団的に焼死したので、大阪に大火があったら女郎がみんな死ぬやないか、人道問題やで、ほんまに。大阪市会の大問題となって、コンクリートの塀に門をあけろ、ということになった。その時までは門が一ヶ所しかなかったそうだね。刑務所にも裏門があるそうだが、ここはそれもなかったのだそうだ。それ以来四ヶ所に門をつくって今に至ったのだそうだ。」
「鯛よし百番」は、大正中期に妓楼として建てられた建物を使用している料亭です。
平成12(2000)年に国の登録有形文化財に登録されています。
飛田新地料理組合の入る飛田会館があります。
<白龍大明神・末広大明神> 大阪市西成区山王3-1-13
飛田会館に鎮座している社です。
鳥居の扁額は「白龍大明神・末広大明神」です。