〇 真壁城址
〇 真壁氏城主累代の墓
〇 伝正寺
〇 伝正寺温泉 桜井館(閉館)
大掾直幹の子・長幹が真壁に入って真壁氏を名乗り、承安2(1172)年に真壁城を築城したと伝わります。
天正18(1590)年の後北条氏滅亡後、真壁氏は新たに常陸の領主となった佐竹氏の家臣となり、
慶長7(1602)年の佐竹氏の国替えで、真壁氏は佐竹氏に従い出羽に移り、真壁城は真壁氏代々400年の居城としての役割を終えました。
慶長11(1606)年、浅野長政は真壁城を隠居所とし、その子長重が慶長16(1611)年に入城しました。
長重の笠間移封後は寛永元(1624)年に稲葉正勝が入城、寛永5(1628)年の真岡移封に伴い、真壁城は廃城となりました。
昭和9(1934)年に本丸の一部が茨城県指定史蹟となり、平成6(1994)年10月28日に国の史跡に指定されました。
本丸跡には体育館が建っています。
<稲荷神社>
本丸にある守護神の稲荷神社です。
○浅野長政の温泉好き
浅野長政は真壁城主(茨城県桜川市真壁町桜井)で隠居し、塩原元湯を好みました。
元湯で湯治中に1611年に亡くなります。
長政が亡くなった場所ですが、真壁本陣で亡くなった記載、塩原元湯で亡くなった記載があります。
昔の塩原元湯では、一般入浴不可の、殿様専用の浴舎があり、これを本陣と言います。
解釈する人が、本陣で亡くなった→真壁の本陣で亡くなったと思いこみがあるのではと思います。
塩原元湯の殿様専用の浴舎である本陣で亡くなったと考えるのが自然だろうと考えます。
真壁氏の氏寺と伝えられる偏照院境内に40基の五輪塔があります。
(標柱)
「茨城県指定文化財
史跡 真壁氏累代墓地及び墓碑群」
松島瑞巌寺を再興した法身性西禅師は、元は真壁城の下男でした。
名を真壁平四郎といい、「下駄の恩」という話しによると、真壁時幹の下駄を平四郎が懐に入れて温めていたのを、
尻の下に置いて温まったものとの勘違いから叱責され、真壁藩を出て出家し後に法身性西禅師となりました。
法身禅師が真壁に戻り、真壁時幹は経緯を知り、伝正寺の前身となる照明寺を寄進しました。
なお、浅野長政は、法名を「伝正院殿功山道忠大居士」とされ、この寺に葬られました。
長政の法名「伝正院」にちなみ、寺は「伝正院」に改められました。
<山門>
慶長年間に淺野家の寄進によって建てられたという茅ぶきの山門がありました。
老朽化していた山門は倒壊し、Googleストリートビューでは山門は確認できません。
<見物お断り>
伝正寺は立入禁止で浅野長政公の墓所にはたどりつけません。
ネットの情報を見ると、婿入りした住職に代替りし、桜の木を見学に来た者がゴミを散らかしたのを見て桜を切ったり、庭園は壊し、
浅野家のお墓は返納、浅野長勲夫妻の石像を廃棄すると言い出し、地元石工たちが石像を保護、桜川市役所真壁庁舎に移設(平成29(2017)年)。
江戸時代初期に浅野家が寄進した山門は倒壊しそのまま放置されています。
住職の見物は迷惑との強いこだわりから、見物する対象物が無くなれば見物に来ないとの考えが推察されます。
※「伝正寺温泉桜井館」はリニューアルされ、「見晴らしの丘
真壁 うり坊」が2017年2月にオープンしています。
浴室は改装され、温泉は使用されていませんが、天然水を使用とあるので分析されていない鉱泉かもしれません。
浅野家の菩提所「伝正寺」門前に慶応3(1867)年に創業した宿、伝正寺温泉桜井館に寄りました。
芥川龍之介や室生犀星も投宿した宿です。
大女将さんにお茶を出していただき待ちます。
浴室前にタオルを用意してありますなど、若旦那からご丁寧な説明を受けます。
玄関には真壁の銘酒「公明」「正気」「花の井」の酒樽が積まれています。階段を降りていくと男女別の浴室があります。
赤い暖簾のほうの風呂ということで、女湯を貸切利用です。
壁に周りの山の絵が描いてある男湯は空でした。
源泉名「伝正寺温泉 どっこいの湯」(平成21年12月分析)。
明治24年(5本の源泉)と平成7年の分析書も掲示していました。
茨城県公衆浴場第一号です。
激熱加温源泉自己投入、循環ろ過なし、塩素なし。
分析書から想定したわりには、鉄分は感じませんが、どことなく良い湯です。
男湯で壁の山の絵を湯上がり後に眺めていると、
入浴待ちの方がおられるようで、大旦那さんが様子を見にこられました。
浴室の絵のことを大旦那さんに尋ねると、息子さんが描いたそうで、正面が筑波連峰で、右壁は下書き状態で未完だそうです。
角に富士山の下書き、右に、日光連山、那須連山の下書きが続きます。
廊下に元になったと思われる写真が貼ってありました。
帰りに大旦那から絵について説明受けましたと若旦那に伝えると
「おはずかしい」とのことでした。
タオル付(持参を使用)、お茶出し(帰りも)、絵の解説付で500円はリーズナブルでした。
伝正寺温泉は、洒落た宿に比べれば、宿はぼろいですが大旦那、大女将、若旦那、みんな人柄が良いです。
鉱泉宿は温泉で人を惹きつけにくいから宿のこころづかいで人を惹きつける面があるように思います。
小滝鉱泉なんか典型だと思います。
真壁城址と真壁氏累代墓所も見てきましたが、
真壁城址は本丸に体育館が建っていて、そこで真壁城の資料をいただきました。
描かれている筑波山の二峰のうち、左の峰が少し高いので、
桜川上流、筑波山の北側から描いたと思われます。