ほっと湯WEB【茨城】
 
 北茨城市 大津町/関南町

  ○ 五浦観光ホテル別館大観荘
  ○ 五浦観光ホテル本館
  〇 大浜丸 魚力
  〇 和風れすとらん松野屋
  ○ 大津岬燈台
  ○ 岡倉天心の墓地
  ○ 風船爆弾放流地跡


○五浦観光ホテル 別館大観荘 北茨城市大津町722 0293-46-1111 HP

 本館と別館は200mほど離れた場所にあり、
 日帰り入浴は、震災後のリニューアル前は、両方の露天風呂(本館内湯は不可)に入ることができました。

 半券もぎ取りのチケットを購入し、残りの半券は本館で使用できました。
 現在はどこにもそのような情報はないので、日帰りは別館だけか。
 まぁ、別館だけで十分と思います。

 トンネルを抜け、太平洋眺望露天風呂「大観の湯」へ。
 温泉小屋の前には足湯船(もうないでしょうね)。

 源泉名「五浦観光ホテル1号温泉」高張泉です。
 影響を与える事項「加水なし、加温なし、循環ろ過なし」
 (本館は別館とは別源泉の2号泉を使用。)
 本館の露天風呂は掛け流しではないので、別館のお湯は鮮度も良いです。

 露天風呂は小さな入り江の断崖の上に位置しており、太平洋が一望できます。
 クリーム色の析出で岩はコーティングされています。
 鉱物油臭あり。2つの露天風呂にかけ流し。
 温度差はなく、2つの湯舟ともに41.5℃(湯温計がおいてあった)。

 眺望だけが取り柄かと思いきや、お湯良しで申し分ありません。

     

     

     

     

     

     

      

<2回目>

     

     

     

     

     

   

<3回目>

 以前はなかったパイプが2つあり、熱いのと温いのが投入されていました。
 熱いのはとても塩辛いので源泉でしょう。
 
    

    


○五浦観光ホテル 本館 北茨城市大津町722 0293-46-1221 HP 11:00-21:00 ※2011/11月初旬再開予定
  
 別館で使用したチケットの半券持って本館へ。

 源泉名「五浦観光ホテル2号温泉」
 茨城県の一番高温の源泉が五浦観光ホテル1号温泉と2号で、その時々で、1号と2号の泉温が逆転しますが、
 1位と2位は、五浦観光ホテルの源泉が占めています。

 残念ながら、影響を与える事項は「加水、加温、循環ろ過」

 茶褐色の湯花は漂っているものの、別館でみられたようなクリーム色の析出物は付着していません。

 湯の投入は確認できたところは3カ所ありました。
 湯口からは贅沢に投入されていますが循環分か源泉かは不明。
 その他、池方面の側面から、湯舟内同温度の投入あり。
 脱衣所方面の側面から熱い湯の投入がありました。
 オーバーフローはしっかりしています。

 山の雰囲気で、つららが成長していました。

     

     

     


○大浜丸 魚力 北茨城市大津町五浦海岸通 0293-46-5995

 大津岬灯台の下の魚料理店です。
 季節によっては、バイクのツーリングの人たちで無茶混みします。

 刺身盛と目光天ぷらのセット定食を注文、食べました。

     

     

     


○船頭料理 天心丸  北茨城市大津町字五浦710 0293-46-7801 →土日祭のみの営業となりました。

 五浦観光ホテル本館の横にある船頭料理の店です。混んでいます。
 店頭であんこうを吊しています。

  

〇地魚料理 なぶら 北茨木市大津町1825-1 0293-46-1510

 天心丸の姉妹店。駐車場に車たくさん。
 11:30-14:00 17:30-21:30 定休月


大津岬燈台 北茨城市大津町

 五浦観光ホテルの本館の脇の道を進むと、大津岬灯台です。

   


岡倉天心の墓地 北茨城市大津町727-2

 五浦観光ホテル別館と本館の途中にあります。
 岡倉天心の辞世と伝えられる歌に込められた遺志を汲み、五浦の地に染井墓地と同じ土饅頭型の丸い墓を造り、分骨が行われました。

 「我逝かば 花な手向けそ浜千鳥
  呼びかふ声を印にて
  落葉に深く埋めてよ
  十二万年明月の夜
  弔ひ来ん人を松の影」

(説明板)
「岡倉天心の墓地
 この墓は日本美術院の主宰者岡倉天心の遺骨が、天心の辞世とされている和文の「我逝かば花な手向けそ浜千鳥 呼びかう声を印にて 落ち葉に深く埋めてよ 12万年明日の夜  弔い来ん人を松の影」及びAn Injunction(戒告)と題した英詩にもりこまれた遺志に沿い、天心没年の大正2年(1913)東京都の染井霊園の墓から、近代日本美術黎明の地五浦に分骨、埋葬されたものであり、歴史的・文化的に価値の高い史跡である。
  平成元年7月24日 市指定 北茨城市教育委員会」

   


〇和風れすとらん松野屋 北茨城市関南町仁井田355 0293-46-3282 定休水曜

 水産加工会社のファミレスへ。
 あんこう鍋定食を注文。

     

○大津漁協直営市場食堂 北茨城市関南町仁井田789-3 0293-30-2345 HP

 2007年7月1日オープン。漁協直営の食堂です。
 以前は夜も営業していましたが、現在は昼のみの営業です。

 11:00-15:00  17:00-20:00 定休水曜

○回転寿司 たらふく(閉店) 北茨城市関南町仁井田467-1

 閉店していますが、地魚が回転する寿司店がありました。

     


風船爆弾放流地跡 わすれじ平和の碑 北茨城市大津町長浜

 五浦海岸に面して「風船爆弾放流地跡 わすれじ平和の碑」(昭和59年建立)があります。
 長い碑文があります。

 この辺一帯は 昭和19年11月から昭和20年4月までの間、アメリカ本土に向けて風船爆弾を放流した地です。
 風船爆弾は50時間前後でアメリカに着くとの説明が記されています。

    

 「風船爆弾放流地跡 わすれじ平和の碑」

   

(碑文)
「風船爆弾放流地跡
 この辺一帯は 昭和十九年十一月から昭和二十年四月の間 アメリカ本土に向けて風船爆弾を放流させた地です 背後の低い丘と丘にはさまれ 現在は田んぼに復元されている幾つもの沢に 放球台や兵舎 倉庫 水素のタンクなどがされていました
 これは極秘秘の「ふ」号作戦といわれ 放流地はほかに福島県勿来関麓と千葉県一の宮海岸 あわせて三ヶ所でしたが 大本営直属の部隊本部はこの地にあり 作戦の中心でした
 晩秋から冬 太平洋の上空八千メートルから一万メートルの亜成層圏に最大秒速七十メートルの偏西風が吹きます いわゆるジェット気流です 風船爆弾は五十時間前後でアメリカに着きます
 精密な電気装置で爆弾と焼夷弾を投下したのち 和紙とコンニャク糊で作った直径十メートルの気球部は自動的に燃焼する仕掛けでした
 第二次大戦中に日本本土から一万メートルかなたのアメリカ合衆国へ 超長距離爆撃を実行したのはこれだけであり 世界的にも珍しい事実として記録されるようになりました 約九千個放流し 三百個前後が到達 アメリカ側の被害は僅少でしたが 山火事を起したほか 送電線を故障させ原子爆弾製造を三日間遅らせたという出来事もあとでわかりました オレゴン州には風船爆弾による六人の死亡者の記念碑が建っています ワシントン博物館には不発で落下した風船の一個が今も展示され 深い関心の的になっています。
 しかし戦争はむなしく はかないものです もう二度とくり返さないように努めましょう この地で爆発事故のため 風船爆弾攻撃の日に 三人が戦死したことも銘記すべきでしょう 永遠の歴史の片隅で人目を忍び いぶし銀のようにささやかに光る夢の跡です
  昭和五十九年十一月二十五日建之」

  

〇北茨城市歴史民族資料館(野口雨情記念館) 北茨城市磯原町磯原130-1

 1階が野口雨情の展示で、2階に風船爆弾の十分の一の模型が展示してあります。

   


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