「天妃山」は磯原海岸にある茨城県内2番目の低山(標高21.2m)です。
天妃山の名の由来は、水戸藩第2代藩主徳川光圀公が元禄3(1690)年に「天妃社」を創建したことによります。
<石標「天妃山入口」> 北茨城市磯原町磯原200-3
国道6号線「旧磯原交差点」から「天妃山入口」の石標を曲がり、天妃山へ向かいます。
コミュニティセンターの敷地に「吉田松陰遊歴記念碑」がありました。
吉田松陰が野口氏宅で見た夢の詩文が、記念碑に刻まれています。
題額は、岸信介の書です。
※国道6号線沿いに新たに設けられた「磯原海岸広場」(北茨城市磯原町磯原187-2)に移設されました。
<弟橘媛神社駐車場> 北茨城市磯原町磯原190
天妃山にある「弟橘媛神社」の駐車場です。
看板があるので、ここが駐車場だとわかります。
※野原だった駐車場は、現在は舗装されました。
<【閉館】山海館> 北茨城市磯原町磯原196
「山海館」は津波の被害大きく休館となり、解体・更地となりました。
画像は津波直後、まだ解体される前の山海館です。
※解体跡地には、「としまや別荘 海と空と・・・」が令和5(2023)年4月にオープンしています。
<天妃山/弟橘媛神社> 北茨城市磯原町磯原196-1
光圀命名の標高21.2mの「天妃山」は、大北川河口の左岸の岬です。
鳥居の左に、社号標「弟橘媛神社」があります。
鳥居の左に、神永喜八翁(文政7(1824)年〜明治43(1910)年)の顕彰碑があります。
篆額揮毫は榎本武揚で、明治39(1906)年1月の建碑です。
(副碑)
「この碑は(石炭業の祖)神永喜八翁の顕彰碑である。
篆額「神永翁壽藏之碑」は榎本武揚、撰文は雨情の伯父野口北巖勝一書は山本星山による。
永年の風雨により刻字が判読できぬため碑面を磨き此処に移し再建する。
平成十三年五月吉日
再建者 神永家直系の孫 神永英喜 としまや会長 渡邊力」
<二十三夜塔>
参道の階段を上っていくと、社が色々とあり、二十三夜塔もあります。
<拝殿/本殿>
天妃山上に弟橘媛神社の拝殿と、さらに上に本殿があります。
拝殿の扁額「天妃姫・弟橘媛・雄都嘉神社」
拝殿前に「天妃山由来」が掲げられています。
由来説明板の横には、天明9(1798)年銘の「天妃山碑」があります(2基の石碑の右。左は不詳)。
拝殿と本殿の屋根の上には「葵」の紋所が映えます。
(説明板)
「天妃山由来
天妃山は昔朝日指峯と云い薬師如来を祀ってあった 元禄三年徳川光圀公が其の像を村の松山寺に移し唐の高僧心越禅師の奉携して来た天妃神を此処に祀り磯原大津の海の守護神とした それより此の山を天妃山と云う その後天保二年徳川齋昭公が日本武尊の妃弟橘姫命を海陸の守護神として祀り弟橘媛神社と改めた 依って天妃神は合祀となっている 区長氏子総代野口章撰書」
拝殿から、細道を登ると、小高いスペースに出ます。太平洋が見渡せます。
そこに「西山公お腰掛石」があります。西山公とは徳川光圀です。
最近、だれも腰掛けていない様子、腰掛けます。