【中津川】
〇 酒井とうふ店
〇 阿久戸の一里塚(湯殿山碑)
〇 二十三夜供養塔(高遠石工)
〇 湯殿山供養塔
【大芦】
〇 湯殿山碑
〇 大山祀神社
〇 天狗の冷泉
〇 道標と石灯籠
2014年7月オープンです。
建替で湯づかいが良くなったようです。
前を通ってもスルーしてその先の温泉を優先してしまって、未湯です。
<村民いこいの湯>
こちらは、地元民専用の共同浴場です。
「豆腐あっぞー」「お茶飲んでけー」が有名ですね。
玉梨とうふ茶屋に比べると、お手軽感のある値段。
箸で刺すと豆腐が持ち上がってしまう堅い豆腐です。
国道400号線沿いに「阿久戸の一里塚」があります。
旗立てには高い梵天が奉納されています。
昭和村のHPによると所在地は「昭和村大字下中津川阿久戸3691-1」とありますが、
googleで所在地を確認すると「昭和村下中津川砂子田」となっています。
昭和村教育委員会の説明板によると
(説明板)
「昭和村民俗文化財 阿久戸の火祭り
毎年1月3日に行われる火伏せの祭り。竿の先の藁に注連や幣束を飾った「梵天」を一里塚に奉納する祭礼で、近郊では類のない希少な火祭りである。
平成9年12月1日指定 昭和村教育委員会」
昭和村歴史記念物 阿久戸の一里塚
寛文7年(1667)4月に作られた一里塚は、明治期までは道の両側に築かれていた。現存するのは片側部分のみで、湯殿山・梵天・2基の庚申塔が配置されている。
昭和55年3月1日指定 昭和村教育委員会」
<湯殿山碑>
立派な「湯殿山」碑があります。
コンクリートで補強されており、記銘は確認できませんでした。
〇「信州高遠石工作品」二十三夜供養塔 昭和村下中津川新屋敷地内
国道400号線沿いに、明和9(1772)年銘の二十三夜供養塔があります。
国道400号線沿いに、寛政12(1800)年銘の梵字が刻まれた「湯殿山供養」塔があります。
「寛政十二庚申歳 五月吉日 村中寄進」
他に「念佛供養」「廿三夜供養」等があります。
国道401号「奥会津昭和の森」入口前に、大正4(1915)年銘の湯殿山碑があります。
・湯殿山碑 大正四年五月吉日
・紀念碑
・顕彰碑 五十嵐伊之重(大芦村初代村長)の顕彰碑。
・会津藩戦死二人之墓
・改修工事記念碑
・不詳
・忠魂碑(安正書)
・馬頭観世音(天保13年)
大山祀神社の石段・石鳥居・石燈篭は、昭和村の文化財に指定されています。
(説明板)
「昭和村有形文化財 石段・石鳥居・石燈篭
大山祇神社の石段は、63段中61段目を除いてすべて一枚石で作られている。石鳥居は神明鳥居型で延享4年(1747)7月の造立。
石燈籠2基は同型であるが、向かって左は天保4年(1833)5月に寄進され、向かって右は明治27年(1894)5月にそれぞれ氏子によって造立された。
約60年の時を経て一対となった御神燈である。
平成9年12月1日指定 昭和村教育委員会」
石段下には、「六地蔵石幢」「廿三夜塔」があります。
昔、天狗山と呼ばれていたこの一帯は奥会津の豪族が山頂に館を築いた場所で、古戦場にもなりました。
この泉はいつの頃からか「神泉」と称されるようになったと言われています。
昭和村銘水10選のひとつです。
(説明板)
「天狗の冷泉
古来、この山は天狗山と称した。三百年程前、奥会津の豪族が自然の地形を利用して山頂に館を築き、伊達政宗軍と幾歳か戦った古戦場でもある。伝えるところによると、この冷泉のお陰で政宗軍団に対し奇蹟の連勝を果たし、それ故、いつの頃からか、この冷泉は、『神泉』と称されるようになった。山頂には館跡があり、その昔をしのばせる。 昭和村」
この場所は、左は会津方面へ向かい、右は田島方面に向かう道です。
道標は、何と書かれているか読めないでいると、
地元の方が寄ってきて、「何て書いてあるかわかる?」「全くわかりませ〜ん」です。
右は「高野田島〜」、左は「会津若松〜」と書いてあると教えていただきました。
道路工事の時に移されそうになったのを、頼んで保存したとのことです。