会津中街道
〇 塔のへつり
〇 阿久土の白湯山碑
〇 白鳥神社の湯殿山供養
〇 夫婦岩
〇 牧野の白湯山碑
〇 湯野上温泉神社
・白湯山塔
〇 中山風穴公園入口
〇 冷風体感施設
〇 貯蔵庫跡
〇 弥五島中ノ内の湯殿山碑
〇 春日神社
〇 熊野神社
〇 下郷最古の学び舎
会津西街道
会津中街道は、天和3(1683)年の日光大地震により下野街道(会津西街道)が通行不能となり、
元禄8(1695)年に会津藩三代藩主松平正容によって整備されました。
白湯山参りの修験の道の上に街道がつくられ、信仰の軌跡を見ることができます。
会津中街道は、阿賀川(大川)右岸(東岸)を行く田代通りと、
左岸(西岸)を行く小出通りがありました。
田代通りは、阿久戸で分かれ、川沿いの、凝灰岩の岩が侵食されてできた窪みの塔のへつりを通る道と、
迂回して行く馬道とがあります。
「新観光名所福島三十景 湯野上温泉と塔のへつり」
(案内板)
「塔のへつり
昭和十八年八月二十四日に国の天然記念物に指定され、百万年もの長い年月をかけて、浸食と風化を繰り返し見事な景観を作り出した「塔のへつり」は、奇岩怪石が塔のようにそそりたち、大川ラインの中でも最大の渓谷美である。 下郷町」
阿賀川に架かる吊り橋「藤見橋」を渡ります。
「藤見橋」を渡ると、正面の岩には「虚空菩薩」が祀られています。
塔のへつりから下流に見える「塔のへつり橋」は、通行不能です。
反対方向も、通行止となっています。
迂回して「塔のへつり橋」へ向かいます。橋の脇を下りていく道があります。
下りていくと、祠と白湯山があります。それと天地人の文字と天狗の絵。
馬道に合流してしばらく進むと、左手に白鳥神社があります。
天明6(1786)年銘の「湯殿山供養」があります。
夫婦いちょうの落ち葉で、辺り一面真っ黄色でした。
湯野上温泉に至ると、大きな岩が2本、塔のように立ち並んでいる夫婦岩があります。
左が男岩(26メートル)、右が女岩(23メートル)です。
国道121号線に平行する村道沿に、延享3(1746)年銘「湯殿山」、享和3(1803)年銘「白湯山」があります。
立派な白湯山碑です。
「四十八夜」塔は、初めて見ました。
もともとは川原に祀られていましたが、大川ダム建設により、現在の場所に移転してきました。
「温泉神社」「山神社」があります。
右から「白湯山塔」(文化元(1804)年)「湯殿山供養塔」「東堂山」「飯豊山」と並んでいます。
<源泉移転記念碑>
川原にあった源泉が今の源泉に変わった記念碑があります。
「源泉移転 記念碑 衆議院議員 渡部恒三書」
裏面には、1号井〜8号井の源泉協力者のお名前が記銘されています。
<地蔵堂>
境内前面に地蔵堂と古碑群があります。
<江川村役場跡地記念碑>
足湯の場所は、江川村役場の跡地で、記念碑があります。
国道121号沿に「国指定天然記念物中山風穴公園入口」の木柱があります。
坂道を登っていくと、右側に冷風体感施設の案内板があります。
空洞から冷気が出てくるところに温度計が置いてあります。
体感施設の奥に、貯蔵庫跡があります。風穴の冷気を利用した天然冷蔵庫です。
(説明板)
「風穴を利用した貯蔵庫跡
ここは、中山(855.6m)の北東山麓(480m)です。風穴を利用した貯蔵庫跡の石積みが二基見られますが、これらは風穴の冷気を利用した、いわば『天然冷蔵庫』です。人々は古くから、野菜・果物・魚・肉等食料の保存には意をこらしてきました。暑さによる腐敗、寒さによる凍結から食料を守る努力や工夫のあとは、各地に残されています。風穴の利用も古人の思いついたすぐれた保存法のひとつです。当地の人の話によりますと、いつ頃から利用されたかは定かではありませんが、昭和の初期頃までは、当貯蔵庫跡は次のように利用されていたようです。
○野菜や果物を夏場の保存にこの穴を利用し、適時各家庭に持ち運んで食していた。
○昭和の初期には隣の田島町の業者が、この風穴を借用し野菜や果物・食品類の夏季の保存に利用し、時期をずらして販売した。
○養蚕にも風穴が利用されていた。業者から購入した蚕の卵を幼虫にかえす(掃きたて)の時期まで保存した。」
弥五島の白湯山碑を捜しましたが、見つけられませんでした。
古峯神社の石柱(昭和53年12月吉日 西ノ浦講中)と碑がいつくかあり、湯殿山碑があります。
横の碑は摩滅して読めません。もしかして白湯山碑かな?
灯篭があり、行ってみると春日神社は山の中腹にあります。
途中に東堂山碑がありました。
大きな石燈籠があります。それ以外の古碑はありません。
「1872(明治5年)8月2日 弥五島小学校創設」の廃校碑です。
「白湯山」「湯殿山」があります。
薬水の清水(湧水)です。所在地の住所ともなっています。
(説明板)
「薬水
この湧水を大内の人はちは薬水と呼びます。その味は都の水にも劣らずといわれ、また様々な病にも効くと伝えられています。
ここ大内には、治承四年(一一八〇)宇治川の戦いに敗れた高倉宮以仁王が無事都落ちし、ここ大内まで辿りついた後、越後国に向ったとされる伝説とともに、集落西側の杜には地区の最高鎮守として高倉大明神を祀った高倉神社も建立されています。
この高倉宮潜行伝説によると、宮の後を追ってこの地で倒れられた櫻木姫も、病の回復を願ってこの水で喉を潤したと伝えられ、川をはさんだ向こう岸には姫の墓標も残っています。
下郷町」
大内宿では、名物の「ねぎそば」が美味しかったです。