岩瀬湯本温泉は、二岐川と鶴沼川に挟まれた山間の温泉です。
9世紀のはじめ頃に嵯峨天皇が病気になり、
これを癒すための温泉を探す命を受けた天皇側近の公家、
星右京之進、若狭之助、丹波の3兄弟によって発見されたと伝えられています。
閑静に建ち並ぶ茅葺き屋根の温泉宿が昔ながらの風情と素朴な懐かしさを残しています。
「つげ義春」は、1967年10月、1970年5月、1973年5月、1976年11月と4度岩瀬湯本温泉に訪れています。
※二岐・岩瀬湯本・天栄温泉国民保養温泉地計画書を参照しました。
〇 御宿星野屋別館
〇 本家星野屋旅館(解体)
〇 ひのき風呂の宿 分家
〇 源泉亭湯口屋
〇 おもで湯 足湯
温泉街入口にあった閉店したガソリンスタンド前に「温泉宮灯籠」(文化7(1810)年)が建っています。
温泉街には、かつて秋田犬「りょう」がいました。
岩瀬湯本温泉の中心街から離れたところに別館があります。
中心街には本家星野屋旅館があり、こちらは宿泊営業はしていませんが、当時お風呂は現役でした。
本家で日帰りで入れるか聞いてみたところ入れるとのことですが、
湯口屋さんや分家さんと同じ湯ですよとか
鍵を持って行かないといけないとか
是非別館のほうに入ってくださいとか
ご案内することになるので連絡が必要とかのことで
結局、別館の内湯に入りました。分析書も影響を与える事項の掲示なく循環ろ過でした。
本家の風呂は廃止、その後旅館は解体となり、無理して入っておけば良かったです。
「共同浴場おもで湯」の裏手にあった「本家星野屋旅館」は解体となり、
星野屋別館の月極駐車場となりました。
※コロナで日帰り入浴中止となりました。
天栄湯めぐり手形を2回買ったものの、湯抜いた、客多いとかで、未入湯のままでした。
こおりやま温泉本持って、何度目かな?チャレンジです。
「温泉内湯 分家星野屋旅館 電話七番」(玄関のガラス戸)の文字の下に、
「本日の1回入浴は終了しました」の掲示!
またダメかなぁ「いいですよ」と快諾。割引使用で500円→300円。
外には薪が積まれていて、屋根を煙でいぶすのかな。
かやぶき屋根の温泉宿は維持が大変そうです。
源泉名「湯本温泉2号泉」小さな湯舟に掛け流しです。
平安時代の816年、嵯峨天皇は重病を患い、あらゆる薬石の効なく困っていたところ、
夢枕に鶴沼川の南に湯が湧いている、その湯垢をとり入浴すれば全治するとのお告げがあり、
侍従の星三兄弟を遣わし、その温泉を探させました。
三兄弟は今の岩瀬湯本温泉を発見して湯垢を持ち帰ったところ天皇は全快したそうです。
天皇は大いに喜び、山城八幡宮を分祀、三兄弟に末永く守るように命じたそうです。
湯本に住む星さんは、この三兄弟の末裔と言われています。
湯口屋の祖先も三兄弟のひとりが祖先です。
湯口屋の建物は戊申戦争のときに焼失し、明治の初期に再建されたものです。
茅屋根の厚さは普通の家の倍ほどもあり、内部も黒光りする太い柱が重厚です。
本館は国の有形文化財に登録されています。
湯口屋は郵便局も営み、2階は宿の宿泊所で、1階に郵便局がありました。
郵便局内には電話の交換局もあり、電話の交換局は昭和52年まで業務を行っていました。
郵便局は昭和59年に国道沿いの現在地に移転し、1階の郵便局だったところは現在は駐車スペースになっています。
源泉亭湯口屋は、「つげ義春」が泊まった宿としても知られています。
さて、玄関で「ごめんくださーい!」と連呼。。。
宿泊客が出てこられて「お客さんですよー」と連呼、呼びに行ってくださる。
窓の外には共同浴場「おもで湯」が見えます。
廊下や階段は、黒光りして歴史を感じます。
源泉名「湯本温泉」かけ流し。
湯船が小さいイメージでしたが実際に目の前にしてみると馬が入れるぐらいで意外に大きいです。
湯口では透明ですが、湯船内では薄黄緑がかった色です。
湯口では硫黄臭と鉄臭の混合です。
さほど甘みは感じなかったものの、ヒ素1.5mgは多いなぁと感ずるも、いい湯です。
湧出地は宿の床下です。
帰りに宿泊客が来られて「ごめんくださーい!」を連呼していたので
「お客さんですよー!」と調理場へ女将さんを呼びに行きました。
<板倉>
源泉亭湯口屋から路地を登って行くと湯口屋の「板倉」があります。
板倉とは釘を使わず木組みでできた高床式の倉庫で、冷害や飢饉に備えました。
共同浴場おもで湯の利用は、岩瀬湯本区民と宿泊者に限定ですが、来訪者用に足湯があります。
昔は露天風呂もあり、馬や農具を洗うのに使われていました。