○ 伊香保石段街
○ 我国温泉都市計画
第一号の地
○ 「伊香保の街」(与謝野晶子)
○ 伊香保黄金の湯小間口
○ 石段街神社下休憩所
○ 伊香保焼 処々や/睦庵(閉店)
○ 茶楼 千(旧柏屋旅館)
○ 吉田屋旅館
○ 丸本館
○ 石段うどん(旧青山旅館)
○ 有明館(閉館)
○ 石段いっぷく館
〇 IKAHO HOUSE166(旧市川旅館)
○ 石段街の足湯
○ 石段の湯
○ 伊香保関所
○ アルウィン碑(石段アルウィン公園)
○ ハワイ王国行使別邸
○ 新石段街広場
○ 石段街共同湯
1段目から365段目までの高低差は約68m。
昭和初期、前橋の紡績工場社員旅行の石段街での記念写真が、すごいですね、圧巻。
、
<こんなものも登場>
温泉むすめにデコレートされた自動販売機や、カラーマンホールも登場しています。
石段の与謝野晶子の詩の横にあります。
「我国温泉都市計画 第一号の地 伊香保温泉石段街
この石段温泉街は、戦国時代の末期、織田信長が天下統一をめざして
武田勝頼と合戦した長篠の戦いの翌年である、天正4年(1576年)に形成されました。
それまで、源泉地(湯元)付近にわずかな浴舎がありましたが、当時、
近世伊香保温泉共同体成立の推進者達が、新たに、湯元より温泉を導き、
石段を造って中央に湯樋を伏せ、左右に整然と区画されたそれぞれの屋敷に引湯して、
滝を配した浴場を造り、温泉宿を経営しました。
こうして石段坂を中心に、当時としては異色の温泉街が形成され、今日に至りました。
わが国第一号の温泉都市計画であり、先駆的役割を果たして参りました。
町制施行100周年記念 ―平成元年、伊香保町― 」
「標高764.76m」
伊香保温泉、石段の中腹には、与謝野晶子が大正9年に発表した「伊香保の街」という詩が刻まれています。
『「伊香保の街」 大正9年 与謝野晶子
榛名山の一角に、段また段を成して、
羅馬時代の野外劇場の如く、
斜めに刻み附けられた 桟敷形の伊香保の街、(ここが200段目)
屋根の上に屋根、部屋の上に部屋、
すべてが温泉宿である、そして榛の若葉の光が
柔かい緑で 街全體を濡らしてゐる。
街を縦に貫く本道は 雑多の店に縁どられて、
長い長い石の階段を作り、伊香保神社の前にまで、
Hの字を無数に積み上げて、
殊更に建築家と繪師とを喜ばせる。』
「伊香保の街」は、大正9(1920)年の発表です。
ネットで検索すると、たいてい大正4(1915)年発表と誤っています。
なんと渋川市までが大正4(1915)年と誤った説明をしています。
石段には、「大正9年 与謝野晶子」と正しく刻まれています。
※「与謝晶子が初めて伊香保に遊んだのは「私の盛りの時代」と自らいわれる大正8年頃のことで、沢山歌が出来ている。」
平野万里が晶子鑑賞の中で、このように書いています。
晶子は度々伊香保を訪れています。
鉄幹が亡くなってからも、昭和11(1936)年春「千明」に宿泊しています。
「伊香保山 雨に千明の傘さして 行けども時の帰るものかな」
平野万里の晶子鑑賞でのコメントには、昭和11年春の作とありますが、
榛名湖でのワカサギ釣りを歌っているので、冬に近い春ですね。
・大正8(1919)年頃の初夏、鉄幹と初めて伊香保を訪れる。
・昭和11(1936)年春「千明」に宿泊。
・昭和11(1936)年6月には、辻和歌子と伊香保を訪問。(出典は晶子書簡)
・昭和14(1939)年5月には、岡本一平、平野萬里と、伊香保で1泊。(出典は晶子書簡)
・昭和14(1939)年秋、「新々訳源氏物語」が完成し伊香保吟行が行われ4〜5人で千明に宿泊。(平野萬里解説)
<白桜集>(遺稿)
伊香保遊草として、伊香保の歌が35首、収められています。
<晶子鑑賞>(平野萬里)
平野萬里による解説が付されています。伊香保の歌を抜粋すると、
「雷の生るゝ熱き湯の音をかたへにしたる朝の黒髪」
大正八年頃の春初めて伊香保に遊んだ時の作。この時は大に感興が動いたと見え秀歌が多い。
又その時の興味が後に迄も続いてゐたらしくも思はれる。
熱湯のふつふつ涌き上る浴室で朝の髪を梳いてゐる豊かな肉体を讃美する作で、
浴泉の歌の多い中にも最も情熱的なものである。
「麻雀の牌の象牙の厚さほど山の椿の葉に積る雪」
この雪は伊香保の正月の雪であるが、この歌はそんなことに一切触れず、
反つて麻雀牌に張つてある象牙の厚さを寸法として
椿の葉に積つた山の雪の厚さを測定してそれだけで恐ろしい程の印象を与へるのである。
「伊香保山雨に千明の傘さして行けども時の帰るものかは」
十一年の春伊香保での作。丁度雨が降り出したので温泉宿千明ちぎらの番傘をさして町へ出掛け
物聞橋の辺まで歩いて見た。所は同じでもしかし時は違ふ、過ぎ去つた時は決して帰ることは無いのである。
この折榛名湖の氷に孔をあけ糸を垂れて若鷺を釣る珍しい遊びを試みた人があつた。
それは 氷よりたまたま大魚釣られたり榛名の山の頂の春 と歌はれ、又
我が背子を納めし墓の石に似てあまたは踏まず湖水の氷 といふ作も残されてゐる。
「故ありて云ふに足らざるものとせぬ物聞橋へ散る木の葉かな」
新々訳源氏物語が完成してその饗宴が上野の精養軒で開かれた。
可なりの盛会であつた、その直後に伊香保吟行が行はれ、四五人で千明に泊つた。
私も同行したが、平常は分らなかつた衰へが、不自由勝な旅では表面へ出て来て私の目にもとまつた。
前の車中の話の歌が心にしみたのもその故である。
作者が初めて伊香保に遊ばれたのは「私の盛りの時代」と自らいはれる大正八年頃の事で沢山歌が出来てゐる。
この行は夫妻二人きりのものではなかつたか。この歌をよむとその際であらう。
物聞橋の上で何事かあつたらしい。物聞橋は小さいあるかなきかの橋ながら、私にとつては如何でもよい唯の橋ではない。
その時は初夏で満山潮の湧くやうであつたが、今は秋やうやく深く木の葉が散つて来る。
さうして私は一人になつて衰へてその上に立つてゐる。
万感交至る趣きが裏にかくれてはゐるが、表は冷静そのもので洵に心にくい限りである。
感想 物聞橋へ最低3回は行っていますね。
一番最初は大正8年頃の初夏で、鉄幹と一緒に行って物聞橋で何事かあったらしいと。
2回目は、鉄幹が亡くなって昭和11年春に宿泊した千明で番傘を借りて物聞橋へ。
同じ場所では鉄幹と来た時とは違う、過ぎ去った時は帰らない。
3回目は、昭和14年秋、今は一人になって衰えて物聞橋の上に立っている。
万感の思いが伝わってきます。
<草の夢(与謝野晶子 大正11年)>
「草の夢」は、大正11(1922)年9月に出版された第11歌集です。
伊豆、湯河原、越後赤倉、上林温泉、安房、上総、箱根堂が島、伊香保、畑毛温泉、駿河静浦、甲斐上野原を詠んだ300首の歌が所収されています。
「以下伊香保にて」として、20首の歌が所収されています。
伊香保へは、大正8年頃の初夏に最初の訪問です。
(一部抜粋)
「つつじの火はてなく這へる山行きぬかかる夢のみ常に見る人」
「山の雨渓へ落つれば音もせずなほ雲とのみ呼びてあらまし」
「立ち舞ふと見へし夕の湯の煙山の雨ともなりにけるかな」
「山の藤誰の肩にもよらずしてうす紫の身を楽みぬ」
「青みたる山の海棠手を上げて月を呼べども雨ぞ降りくる」
「身を反し伊香保の街の石段を雨の歩める初夏の朝」
黄金の湯、小間口については、
「伊香保温泉小間口権者組合」に詳細が記されています。
<温泉管>
伊香保神社社号標の脇に、「この坂上より湯元源泉地」の看板。また、温泉管の掲示があります。
2006年1月竣工。休憩所/トイレですが、共同湯のような外観です。
昔は「叶屋旅館」だった処々や/睦庵。宿は「景風流の宿かのうや」として営業しています。
かのうやの案内には睦庵の入浴案内が記されています。
1階が伊香保焼「処々や(ここや)」と入浴施設、
2・3階が蕎麦処「睦庵」(ぼくあん)となっています。
店前には「上州伊香保温泉場全景」(明治44年)が掲示されています。
旅館だった風情のある2階の睦庵で蕎麦食べ入浴。食事すると無料。
食事すると温泉が無料になるのは、福島のいやさかが有名どころ。
テーブルの上に置いてあるメニュー書は蕎麦ですが、うどんのメニューもあります。
うどんは残っていても、蕎麦の売り切れは早いです。
湯場は、大塚政五郎初代館主の名に因み、「政五郎の湯」と呼ばれています。
共同湯「上段の湯」でもあります。
脱衣所に入ると湯面を叩きつける源泉の音が聞こえ、わくわくします。
手前が男湯、奥が女湯。その中央に外からの玄関があります。貸し切りなので両方入ってみました。
男湯のほうが大きく、女湯のほうが湯温高く鮮度良いのかなと思いましたが、
男湯と女湯は湯舟の下でつながっており、お湯の状態は一緒でした。
男湯で、ザバーとオーバーフローすると、女湯のほうでも溢れる音が聞こえます。
狭いけど意外に深く、浴槽内の足場の幅が狭いし、湯舟内が見えないのでコケそうになりました。
煙突みたいなところから非加熱源泉ドバドバ投入。
廊下に掲示の分析書は昭和54年11月26日、浴用許可は昭和41年と年代物でした。
<蕎麦処睦庵閉店>
「長い間、御ひいきを賜り、ありがとうございました。
令和元年9月21日をもちまして蕎麦屋睦庵を閉店させて頂きます。店主」
政五郎の湯の外部との入口前には植木が置かれ、源泉パイプからは音がしないので、
湯は張っておらずこちらも閉鎖かなと思います。
処々やは営業しています。
女将さんが2016年9月に他界され、廃業したようです。
伊香保温泉旅館協同組合と渋川伊香保観光協会の宿一覧から消えました。
(旅館組合のサイトには残骸が残っています。
http://www.hotels-ikaho.or.jp/pdf/hotel012.pdf)
工事中(2019年1月)です。解体かもしれませんね。
〇茶楼 千 渋川市伊香保町伊香保12 0279-72-2275 HP
工事は解体かもと思ったら、改装でした。かなり綺麗になっています。
「茶楼 千」が2019年5月にオープン。日中はカフェ、夜はバーです。
2度ほど叫んで、入浴快諾、ご主人に浴室に案内していただきます。
「だれもいないようですね、ごゆっくりどうぞ。何でも自由に使ってください。」
男湯の脱衣場の奥に女湯があります。
宿から浴場へは、男湯の脱衣場から入ります。
女湯へは男湯の脱衣所を通って行くことになります。
外からだと、鍵が必要なドアノブの男女別の入り口となっています。ジモ専チックです。
小さな共同湯の浴槽に黄金の湯が大量投入で、圧巻です。
「処々や政五郎の湯」と、基本的な構造は同じです。
湯口の外を確認すると、加温設備はなく、太いパイプが湯口まで斜面を下りてきており、本線の直結投入です。
見た目や臭いは「処々や」より薄い感じです。
湯船内で、手足をバタバタ、体をぐるんぐるんしても、
湯花の堆積がないので、「処々や」のように笹濁り→真っ赤にはなりません。
浴槽奥の木戸を開けると源泉が滝のように落ちています。
見上げると、湯気抜きの天井は味があります。
加温なしで統合泉を利用できる立地で、鮮度良し。
今日は温くてと恐縮されていましたが、十分。
小さな湯船への直結・大量投入で滞留時間が短いから酸化する暇がありません。
それと、まめに湯を抜いて清掃しているからかもしれません。
(掃除はご主人がしているのか、地元の方々が当番なのかは聞いていません)
薄く感じたのは、鮮度が良いからと思いました。
洗い場には水道の蛇口が一つ、シャンプー、ボディソープ、石鹸あり。
入浴を終え、脱衣所で着替えていると、おばあちゃまとおばちゃま方の声。
「え?!、脱衣場に突入してくるかも?!」と内心、汗汗。。
外から女湯の脱衣所に入られたので一安心です。
入浴のお礼の声をかけると、今度は、ご主人、すぐ出てこられました。
湯量の多さのことに触れると、
ここの黄金の湯の権利は、みやげ物屋やまんじゅう屋など5軒で共有とのことで、
旅館は吉田屋旅館だけとなっており、
吉田屋旅館の奥にある金太夫よりちょっと少ないぐらいの湯量の権利とのこと。
「それほどの湯量を小さな湯舟に豪快に掛け捨てとはすごいですね。」
「うちは湯量だけは、自慢です。」
今はここのお風呂を使う方々は、おばあちゃん方とその娘さん方ぐらいで少なくなったとのこと。
ご主人に浴室に案内された時、「だれもいないようですね」と言われたのは、
外からも鍵を持っている地元の方々が来られるからなんですね、納得。
「何でも自由に使ってください」と言われたのは、
ドライヤーやアメニティーは、宿の入浴者用に脱衣所の外の宿側に置いてあり、
わかりにくいからなんですね、納得。
黄金の湯の非加熱完全掛け流し共同湯に300円で入れるとは特筆もんです。
日帰り入浴は、宿泊客がチェックインするまでの間です。
2回目の利用
脱衣所は狭いですが鍵付き無料ロッカーがあります。
カランは2つのみ。
家庭用のお風呂の割に、掛け流し量が多いので湯は新鮮、気持ちよい。
これぞ黄金の湯。
旅館のほか、石段うどんの店になっています。青山旅館はその後閉館となりました。
2012年3月で閉館しました。
黄金の湯の非加熱掛け流しの湯がひとつ減りました。
石段街のほぼ中央にあります。
石段166段目に立地するのが「IKAHO HOUSE166」です。
旧市川旅館を改修して2024年12月21日にオープンしています。
改修前の市川旅館
○足湯「岸権 辰の湯」(黄金の湯かけ流し)
丸本館の横の金田屋旅館が取り壊され、岸権旅館の駐車場となり、
石段街に面して、足湯ができています。2010年8月1日にオープンしました。賑わっています。
○金太夫の足湯 石段の横(ホテル金太夫の横)
岸権の足湯ができてから、こちらはガラガラです。
影響を与える項目「加水、加温」から「加温、消毒」に変更となっています。
閉店してしまいました。
宿の裏を見ると、風情があります。
千明は多くの文豪が宿泊しています。
伊香保露天風呂よりだいぶ下にあるので、酸化してものすごい黄土色かなと思うも、
それほどでもないので、ちょっと意表をつかれました。
「入浴に適した温度を保つため差し湯(加水)をしています。」 とあったので、薄まっているかな。
ケロリン桶あり、ライオンの湯口です。
門ができたりとなにげに進化しています。観覧無料。
雪に埋もれていますが、取り調べ石とお辞儀石。
現地説明板より抜粋
「アルウィン記念碑
1900年以前ハワイは独立国で王政統治を布いていました。
(略)
日本に帰化し有院と性を名乗り大正14年81歳の
生涯を日本で終え東京の青山霊園に永眠している。
この記念碑は青山霊園の「亜氏略歴」碑(有院の略歴)と同じものを
ハワイ王国公使別邸の移築を記念してここに建てられたものである。
平成26年3月 吉日 」
駐日ハワイ王国弁理公使ロバート・W・アルウィン氏の別荘で
渋川市指定史跡となっています。
2013(平成25)年に移築改修した公使別邸と新設したガイダンス施設を一般に公開しています。
移築改修工事
移築改修前
観山荘
ガイダンス施設の前にあった観山荘。2009/1/13に閉館しています。
石段街が延長され、黄金の湯の湯滝、足湯が設置されています。
2010年4月22日に竣工しています。
工事が始まった時
ほぼできあがった石段
イベント(ぺヤング)
組合員専用の共同湯をいくつか外から見学です。
なお、見晴台温泉地区等2カ所の新たな共同浴場計画がかつてあり、
2009年には郵便局跡にできる計画でしたが、頓挫しています。
<薬師の湯>
目にご利益があるという医王寺薬師堂の傍にあります。
<上段の湯>
政五郎の湯が上段の湯でしょう。
<後閑の湯>
石段の中間左側にあります。
<平形の湯>
丸本館の裏手にあります。利用者多い共同湯です。
横の建物は逸見射的場の表示があります(現在は表示はなくなりました)。
<横手館の屋敷湯>
以前、それらしき場所で工事しており、消滅か。
<岸権の屋敷湯>
「岸権」入口は足湯ができており、裏手に権左衛門之湯設置で消滅か。
<金太夫の屋敷湯>
足湯と貸し切り風呂になって、消滅か。